三笠宮さまご逝去100歳=天皇陛下の叔父
毎日新聞2016年10月27日 09時28分(最終更新 10月27日 13時06分)
昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父、三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)さまが27日午前8時34分、入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)で心不全のため亡くなられた。宮内庁が発表した。明治以降に亡くなった皇族としては最も長寿の100歳だった。三笠宮さまの逝去により、昭和天皇の弟3人がすべて故人となった。
27日午前10時半に宮内庁で名川弘一皇室医務主管と加地隆治宮務主管が記者会見し、逝去までの経過を説明した。三笠宮さまは、同日午前7時40分ごろまで意識があったが、急変して心臓の鼓動が遅くなり、8時ごろ心停止の状態になったという。同病院に検査入院していた妻百合子さま(93)がみとられた。
三笠宮さまは5月16日に急性肺炎で同病院に入院した。その後、肺炎の症状は治まったが、心機能の低下がみられ、入院を継続していた。最近は容体が安定し、手足を動かすなどのリハビリもしていたという。名川氏は会見で「医師たちを中心に懸命の治療が行われた結果、ここしばらくは安定された状態だったが、年齢からくる心機能低下に対しては、いかんともしがたかった」と述べた。
三笠宮さまは、1915(大正4)年12月2日、大正天皇の四男として誕生した。幼名は澄宮(すみのみや)。学習院初等科・中等科から陸軍士官学校、陸軍大学校に進んだ。中国派遣軍参謀として南京に赴任したこともあり、終戦時は陸軍少佐だった。
41年10月に子爵・高木正得(まさなり)氏の次女百合子さまと結婚。3男2女をもうけた。
古代オリエント史の研究者として知られ、東京女子大などで講師として教壇に立った。著書に「古代オリエント史と私」などがある。歴史学者の立場から、神武天皇の即位の日とされる2月11日の祝日「紀元節」(48年廃止)を建国記念日として復活させることに反対の意思を表明したこともあった。
心臓の左心房と左心室の間にある僧帽弁が完全に閉じないため血液が逆流する「僧帽弁閉鎖不全」を患い、2012年7月に手術を受けた。最後に公の場に姿を見せたのは、今年1月2日の新年一般参賀で、皇居・宮殿のベランダで手を振った。公務としては4月8日、トルコに赴任する日本の大使と、お住まいの宮邸で面会したのが最後だった。
三笠宮さまの長男の寛仁さまは12年に66歳、次男の桂宮さまは14年に66歳、三男の高円宮さまは02年に47歳で亡くなっている。【高島博之、山田奈緒、古関俊樹】