松本悦治(アテネ・フランセ校長)先生死去
財団法人「アテネ・フランセ」理事長兼同校校長で西洋古典(ギリシア語・ラテン語)学者・仏文学者の松本悦治[アテネ・フランセ]校長(92)先生は、2012年10月02日、享年92歳にてその生涯を終えられました。
密葬の儀は10月05日御家族で佛式で済まされました。
つきましては「偲ぶ会」を財団法人アテネ・フランセ・遺族代表の主催で、下記の通り、東京都千代田区神田駿河台2-11「アテネ・フランセ」(B1学生ホール)におきまして執り行います.
松本悦治先生を偲ぶ会
日時
2012年11月03日(土)
午後5時半~8時
場所
東京都千代田区神田駿河台2-11「アテネ・フランセ」(B1学生ホール)
喪主(遺族代表)
同師長女
松本 のゑみ
註:御来臨の際は平服でお越しくださいますようお願い申しあげます。御香典・御供花の儀は御辞退の旨御連絡いただいております。 (文責:同師・弟子「八木橋 正雄」)
KANDA アーカイブ「神田資料室」KANDA ルネッサンス 24号 コピー
(1993.01.20) p.3.
[街の魅力の発掘と未来・VI
神田駿河台学生街その12 アテネ・フランセ]
HITO
松本悦治さん アテネ・フランセ 二代目校長
「アテネはいつも神田でしたねぇ」と、上品にそして静かに語る。二代目校長である松本悦治さんは今でも元気に学生達にラテン語とギリシャ語を教え、勉学に勤しんでいる。
そもそも松本さん自身、アテネの生徒であった。創立者であり、初代校長でもあるジョセフ・コット氏の内弟子として個人教授を受け、25才で初等科を学び、26才で中等科、27才で高等科とすすみ、コット氏の死去に伴いわずか28才にして校長の座に就いた。コット氏と出会えたのは「人生の転機だった」と言う。
「弟子の多い方でした。日本人にフランス文化、フランス文学を教えること、そして学生が喜んで学ぶ姿を見ることがとても楽しいようでした。」
コット氏は学ぶということに関しては、大変厳しかったようだが、それでも彼を尊敬し、慕った弟子は後を絶たず急増した。その最後の弟子にあたるのが松本さんだった。
「コット先生は、エミール大統領のご子息の家庭教師をおやりになったり、またペルシャの皇太子にフランス語をお教えになったりと、大変高貴な方のお側で勉強されていたのです。来日したきっかけも、大正天皇の皇太子さまの家庭教師に応募したからと言います。結局その役は、先輩にお譲りになったそうですが、不思議とそういった方々とご縁がおありだったんですねぇ。」
こんな風に目を細めて懐しそうにコット氏を語る。また生徒に対しては―
「アテネは、いろいろな年齢層の方々がいらして、交際の輪が広がります。友達が増えますよ。私たちとしては、いい内容を持って、いい先生を集めて、学生に喜ばれるような学校を目指しているんです。そしてどんな人でも入れるように安く、わかりやすく!
ここは勉強すればするほど高く評価されますから皆さんがんばって下さいます。」
これからも学校法人にするつもりはなく、あくまで自由に、それでいて誇り高いアテネ・フランセとしてがんばっていきたいと熱い志を見せてくれた。