「いまは、これまで私が生きてきたうちで最も悲劇的な時代だと思う。すでに老いた私は、ギリシャで幾つかの戦争を経験してきた。だが今は、戦争と比べても最悪の時代だ。なぜなら、まったく将来が見通せず、未来がないからだ。人々は昨日、今日のことは語るが、そこには歴史的な目がない。つまり、私たちがど戦争を経験してきた。だが今は、戦争と比べても最悪の時代だ。なぜなら、まったく将来が見通せず、未来がないからだ。人々は昨日、今日のことは語るが、そこには歴史的な目がない。つまり、私たちがどんな時間の流れの中にいるのか、彼らは語ることができない。軍事政権下でも私たちはある日、物語は終わり、いずれは良い時代が来ると知っていた。でも今はそれがない。問題は経済ではない。経済ならことは簡単だ。問題はいまの政治にある。人々に未来の方向を示すはずの政治が、ギリシャに限らず世界中、どこを見てもない。行先を示す政治があれば、財政上の問題など解決できるが、政治家も学者も、このアテネの広場に集まる人々も自分たちがどこに向かっているのかがわからない。票を求める政治家と、その見返りを求める有権者たち。この国は長い時間(約30年)をかけて借金を増やしてきたが、その金を誰が得たのか、とも、なぜそうなったかとも問おうとしない。我々は今大きな収容所にいる。その収容所の待合室にみなで固まり、ただ扉が開くのを待っている。誰かが動かしてくれるチェスの駒のように。その扉は未来に向けていずれ壊されるか、自然に開くドアだ。いまの時代、理由のない暴力は広がらない。かつての革命のような形の暴力はもうない。我々はかつてよりは大人になった。でもその時はいずれ来る。我々は考え考えた末に大人になるのではなく、時間をかけて関連のある出来事を積み重ねた末に、より成熟する。そして、突然の噴火。私たち自身もその噴火のプロセスを理解できない。長く西欧社会は、ギリシャを含め、本当の繁栄を手にしたと信じてきた。だが、突如それは違うと気づいた。その驚きと怒りは政治家にぶつけられる。驚くのはいいが、本来、怒りは私たち自身に向けられるべきものだ。扉はいずれ壊される。イタリア人はもうその準備を始めている。ベルルスコーニはすでに敗れ、間もなく国民に捨てられる。でも、扉を壊すときではない。その前に世界が変わらなければならない。なぜなら、ある国がよその国に影響を与える時代に私たちは生きているからだ。どの国も独りではいられない。3月11日に日本でおきたことは私に大きな影響を与えた。スペイン、イタリア、ポルトガルと他の国々、スペインの核となる人々は今ギリシャ国民を支援すると声をあげている。私はこうした国々で“同志”に会った。つまり私と全く同じ考えの人々だ。フランスでもそうだ。私は思うのだが、こうした地中海諸国が最初に扉を奥まで押し始めるのではないだろうか。私は楽観主義でも悲観主義でもない。ギリシャが売られることはない。ビジネスが売られてもそれは財政上の調節にすぎない。トルコのエンドアンは国のあらゆるものを民営化で売ってきた。その結果、トルコは成長し財政収支を強めた。ギリシャとは全く逆の方向に進んできた。誰も未来について確信をもって語れない。ただ言えるのは扉は開くということ。扉は歴史的に受け入れられる形で取り除かれる。問題は財政が政治にも倫理にも美学にも、我々の全てに影響を与えていることだ。これを取り払わなくてはならない。扉を開こう。それが唯一の解決策だ。今の世代で始め、次の世代へと。金融上の取引、市場が全てではなく、人間同士の関係の方が大きな問題なのではないかと、私たちは想像することができるだろうか。」
(テオ・アンゲロプーロス)(岩波書店『世界』2011年12月号156~163頁)