旅の意味は、「自分」を「捨て」て、海外などの「現地の人」と「会話」し、「現地」の人の生活を「実体験」「追体験」することにあると思います。4X5のカメラで通りなどで「撮影」していると、必ず「誰か」が話しかけてきます。そこで「現地」の人と「現地の言語」でコミュニケーションをはかることができます。「写真」のことを「切り出し」に、「現地の生活」「生活の困難」「生きた実体験」を「追体験」できます。そこでは、むかしの「私」ではなく、「新しい私」に「生まれかわる」ことができます。「自分をもっていって」はいけません。相手の立場に立ち、相手の「国」の「価値観」をあらたな「私」の「価値観」に「転換」させることができます。それには、相手の感性を理解し、「共鳴」し「共振」(コヒーレント)する「言語体験」が、「私」の「人生」を「拡大」し、豊かにします。「写真家」の「楽しい」ところは、「取材先」の「生活」を「新たな生」(新生活)のはじめとできることです。「世間知らず」の対極にあります。「世間をよく知り、現地人になりきる」ことです。そうすると「レポルタージュ先の生活」を「生きる」こととともに「言語」を「活語(LANGUE Vivante)」として「私」のなかに「人生の思考法」の「転換」を迫られることになり、よいレポルタージュができ、写真ができます。周りと観照することに意味があるのです。ですから、「会話」の「時間」を「作る」ためにも「ゆっくりとした撮影」が必要で、4X5版の三脚をつかう「古典的カメラマン」の準備と「装具」も「会話」の糸となります。デジカメで「連写」していては「現地の人」と「コミュニケート」する「機会」が「失われがち」です。「旅の利益は自分の思考範囲を拡大し、言語活用能力を高め、多くの人とのコミュニケーションの成果として、豊かな人間性と人生を築くこと」(ヘロドトス)にあります。せまい「私」を捨てさり、新しい「私」に、「生まれ変わる」ことにあります。4X5のカメラを三脚に据えて、現地の人と「会話」して、「交流」を深めると、新聞などのジャーナリズムでは決して分からない「現実生活」が「実体験」として「追体験」できます。「旅の意味」はそこにあります。ですから、「現地語」を使い、「現地の人」になりきって、「新しい自分」になっている「私」がそこに「新生活」として「新生」するのです。個人旅行・言語体験・苦労が必須です。「団体旅行」ではだめです。ぜひ、大型カメラをせおって、旅にひとりで出てください。とりわけ「若い人」に薦めます。(写真はギリシアのISAP鉄道・パルテノンの近くで撮影)