特集ワイド:街場の争点 2014衆院選/4 東京・銀座 光にかすむ「福島」の現実
毎日新聞 2014年12月11日 東京夕刊
◇ひとはやさしさを どこに棄ててきたの
ひっきりなしに行き交う人の波に、思わず流されてしまいそうになった。7日、衆院選前の「ラストサンデー」。東京・銀座の中心、銀座4丁目交差点は、カップルや友人らと「銀ブラ」を楽しむ人たちでごった返していた。どこからともなく聞こえてくるクリスマスソング、華やかに彩られたショーウインドー。思わず心が躍る。
日も傾き始めた午後4時ごろ。交差点に「どうか、国会へと押し上げてください」という拡声機の声が響いた。候補者は、選挙カーの上から、華やかな街とは不釣り合いな「ブラック企業」や「非正規労働」への対策を訴える。行き交う人のほとんどは、まるでそこに誰もいないかのように見向きすらしない。
三越百貨店前に立っていた50代の夫婦は「選挙があるのはもちろん知っています。でも、銀座にまで来てわざわざ演説を聞こうと思わないじゃない?」。友人と歩いていた会社員の女性(27)も「選挙は大事だなと思うけど、今日はなんか違う」。
「元気な銀座に完全に戻っています」。銀座の店舗や事務所などが所属する商店会「銀座通連合会」の国平与四雄・事務局長に話を聞くと、こんな答えが返ってきた。「東日本大震災直後は、ネオンが自粛されたりして街全体が暗くなりがちでした。でも今は『銀座が元気がなくてどうする』と、街そのものも雰囲気も、明るくなってきていますよ。震災前以上、じゃないかな。あちこちで大規模な建て替え工事もしている。これも銀座が動いている証拠です」
銀座は今、ビルの建て替えラッシュだ。銀座4丁目交差点に面した「サッポロ銀座ビル」で工事が進むほか、宝飾大手「ミキモト」も来年建て替えられる。
国平さんが続ける。「アベノミクスによる株高で恩恵を受ける人が、銀座に戻ってきているのは確か。最近の円安やビザ発給条件の緩和で中国や東南アジアからの観光客が急増していることも大きな要因ですね」
平日の夜、銀座4丁目交差点から中央通りを歩いていくと、着物姿の女性に見送られる、短髪の男性(61歳)を見つけた。宮城県出身で40代から不動産会社を経営しているという。「銀座には毎週飲みに来ているよ。友達と。あんまり細かくは覚えていないけど、代金は7万〜8万円ぐらいでしょ」
どうしてそんなに羽振りがいいのか。男性は「本業でもうかっているというより、父親から受け継いだ株だよね。安倍政権になってからの株高はありがたい。原発とか復興とか、確かに難しい問題はある。でも、どの党も結局そんなに変わらないだろうし、俺は『この道しかない』と思うね」と冗舌に話し、タクシーに乗り込んだ。去り際、窓を開けあいさつ代わりに「ベサメムーチョー」と大声で告げた。
銀座からそう遠くない都内や首都圏にも、福島第1原発事故の影響で避難してきた人々が暮らしている。
「銀座のネオンやイルミネーション、確かにきれいだよね。でも、ふと、むなしくなるんですよ。この先自分がどこで暮らすか、どんな仕事をするかも分からないんだから」。近くを歩いていた、福島県から避難してきた契約社員の男性(55)はそうつぶやいた。事故の数カ月後、避難先で祖母を亡くしたという。
福島県によると、原発事故など震災による県外への避難者は4万6070人(今年11月13日時点)。県内の避難者は、7万6903人(11月17日)。放射能の影響で、早期の帰還ができない住民は約4万7000人にものぼる。
福島第1原発では、汚染水対策も確立できていない。それなのに、政府・与党は原発を「重要なベースロード電源」として再稼働を進める。野党6党の公約では、民主が避難計画、維新が使用済み核燃料の最終処分場確保がなければ再稼働はないと主張し、共産、社民、生活、改革は「即時原発ゼロ」を訴える。
銀座にも、原発問題を気にかける人は多くいた。知人とブランド店を訪れた都内の会社員、鈴木真一さん(26)は「期日前投票にはもう行ってきた。どの候補、党に入れるかの判断基準は原発。やっぱり原発はもう動かしてほしくない。電気代が高くなったり、『成長のためには必要』と言われたりしても、まだまだ削れる電気はある。銀座のネオンだってこんなにチカチカする必要はないでしょう」
それでも、原発問題は今回の衆院選で大きな争点にはなっていない。「有権者の多くは、一歩間違えれば日本が滅亡するかもしれなかった、事故の重大さを理解していないのではないでしょうか」。文化学園大助教(政治学・社会思想)で「永続敗戦論」の著者、白井聡さんが指摘する。
「背景にはさまざまな問題があります。まずは政党・政治家。原発のような重要な政策を変えるには断固たる政治勢力が必要。なのに、野党第1党の民主党ですら対立軸を示せず、その役割を果たしていません。次にメディア。政権や政治家が本当はどのような原発の将来像を抱いているのか。知りたいのに報じられていません。エリート層も、例えば、大学で原発事故の深刻さをきちんと伝えられる人はわずかです」
「銀座といえば、昔は憧れたけどねえ。今はもう、行きたいとも思わないよ」。震災時の津波で家を失い、現在は東京西部で暮らす無職男性(72)はため息をつく。かつては建築現場をまわる職人で、バブル絶頂のころ銀座で飲み明かしたこともある。
「俺たち被災者は、忘れられてしまうんじゃないかねえ。まさに『東京砂漠』って感じか?」。力なく笑いながら問いかけてきた。
「東京砂漠」は、1976年、内山田洋とクール・ファイブが歌ったヒット曲。大都会の希薄な人間関係や疎外感をどこかに感じさせる。こんな歌い出しだ。
<空が哭(な)いてる 煤(すす)け汚されて ひとはやさしさを どこに棄(す)ててきたの>
銀座のにぎわいとは裏腹に、避難者の孤独感は深まるばかりだ。福島県富岡町から都内に避難している男性は「自宅は帰還困難区域内。選挙ではどこの党も復興、復興というが、むなしく聞こえるだけ。『ひとの復興』は忘れ去られてしまっているし、原発の問題は一部の人のことだと思っている人が大多数じゃない? でも、東京だって大災害がないとは言い切れない。明日は我が身だと思うよ」。
銀座4丁目交差点。きらびやかな人と光の波に、避難者の声や選挙の争点がかき消されていくような、そんな不安にとらわれた。【樋口淳也】